2011年11月17日木曜日

最強一郎伝説!

恋人と幸せな生活を作るために一郎は刑務所に戻ることにした。しかし彼の警備員のJさんは彼の恋人が欲しかった。一郎が刑務所に戻ったばかり、Jさんは彼女をった。彼女は妻七番になった(毎日違う妻にするため)。そのことを聞いた時彼は怒った。ある日鉱山いた時彼は逃げた。彼は刀を買い、「スナック愛」で食べ物を全部買った。一郎は刑務所に突入した。その時Jさんとたくさん警備員は寝ていた。一郎は彼らを縛って、Jさんに「スナック愛」で買った気持ち悪い食べ物を「彼女はどこだ!!」と聞きながら食べさせた。もう少しでJさんは気を失いました。しかし何とか警備員の一人を逃がすことができました。その時警備員は軍隊に連絡しました。すぐに刑務所は軍隊に囲まれました。

一郎はどうする?
チェン ジミー

谷崎の「鍵」の書評と意見

私にとって谷崎の「鍵」はすごく面白かったと思います。まず、この短編は人間の内密なことに対する筋のある短編だし、読者はそういう全然言われていないことについての小説などを読むのが好きなので、好きでした。日本人の作家はこんなに誘発性の話を書いたということにびっくりされました。人々の性生活は日本にあまり書かれていないということのおかげで有名になったと言えるかもしれません。本屋でこのような短編を見たら私なら買ったら恥ずかしくなるかもしれないので買いませんが、こういう短編はそんな小説を買いたい魅力があります。私にとって、この短編の筋は現実的じゃないと言いたくても実話を元にした話なので言えません。しかし、登場人物の気持ちは本物の人間のに似ていると思います。こういう話は私の心をどきどきさせます。そして、この短編は奥様の立場から書かれているというのは面白いと思います。それは読者に話の他の一面から考えさせます。短編は日記帳の記事のように書かれていることも面白かったです。

この短編が好きだと言ってもご両親と「鍵」の映画を見るほうがいいというわけではありません~

ドンダレー・ガンブス

翻訳するのは…

難しいですよ!最近、宿題として短編を翻訳しました。その時は本物の小説を翻訳するのは初めてで、最初に「難しくないよ」と思いましたが、結局そういうことではないということに気がつきました。翻訳するには言葉を一ヶ国語から他の言語に翻訳することだけではなく、翻訳している間に作家の感情とオリジナルの意図も考えなくてはなりません。日本語ですから、日本語の言葉と表現の意味が一つ以上入っているので、どちらは一番適当かも決めなくてはなりません。私にとって翻訳ならたいてい言葉の文学どおりの意味のほうが好きです。しかし、英語で読めて分かりやすい筋のある翻訳を作成するのほうが言葉の文学どおりの意味を元にした翻訳を作るより一番大切だと思います。このような作品を翻訳すればするほど翻訳のしかたを習って、そういうことによっていつか本とかゲームのスクリプトを翻訳したいと思います。だがもっとを翻訳したほうがいいと思います。私が何かを何度も翻訳する経験からだけ翻訳のしかたが習えると思います。

ドンダレー・ガンブス

2011年11月16日水曜日

写真を切る事について

川端康成の「写真」には婚約記念の写真を半分に切ったら写してる人を違うように見える話が出ました。授業でその話が本当かどうか、なぜ違うように見えるか、色々話しましたが、私は最近新しい推測を考えました。それは、切ってない写真には婚約者だけじゃなくて、詩人が自分の姿も見えるからこそ、その写真を撮った時の自分の幸せをついに思い出す事になります。その時の自分の幸せを思い出したら、写してる婚約者の姿を現実よりもっと美しく見えると思います。授業でもらったカフカの写真の二人は嬉しそうに見えませんでした。だから半分に切っても、雰囲気があまり変わりません。つまり、愛がなければ、違うように見えませんと言うことです。だから私には「写真」は実に愛の話だと思います。

牧嶋ローレン

2011年11月15日火曜日

タイトルについて

 村上春樹さんの短編小説の”夜中の汽笛について、あるいはものがたりの効用について”を訳した。この物語のタイトルは面白いだと思って、それについて話をしてみたいだ。主人公の少年が少女に”夜中の汽笛みたいに好きだ”と言って、そして彼は自分自身の経験でその文の意味を詳しく説明した。小説の最後で、少女が自分の物語も話した。つまり、このタイトルの前半分は十分なのに、後半分の”物語の効用”も入た。その理由はなんでしょう。少年は物語で自分の気持ちをよくとといた。その話を聞いた少女きっと想像してみて、相手の夢みたいの経験をもらそうだ。それから、このふたりの経験は多少ちかくなることがあるかもしれない。ある意味で、その物語を聞き取ったときに、少女が少年のからたのなかにいた。もしかして、他の人の人生を経験するのはものがたりのようこうなんだ。

レイチェル ペン

「金閣寺」の武士のティマ

三島由紀夫の「金閣寺」という小説の主人公はとても面白いです。「金閣寺」の「溝口」という主人公は寂しくて悲しい人です。溝口はどまったから、子供の時、同級生にいじめられました。彼をいじめた人に害を希望しました。例えば、彼は「うきお」という女の子にからかわれました時、溝口は本当に恥じりまったから、彼女が死ぬと思った。溝口の恥は武士のようだった。名誉は武士に重要だった。ときどき、武士は名誉をうしなったら、切腹しました。溝口はうきおを死めと思ったが、気持ちは同じと思います。三島由紀夫の武士度の関心は溝口に示されていると思います。その一方で、溝口はただ物騒な子供かもしれません。

クリストファー・グルティアーノ

古代の日本語

前のブログポストから続きたいと思う。前回現代の日本語にある古代の日本語の名残について説明したんだが本物の古代の日本語(文語)はどんな形があったんだろう。昔は「日本語」という言語を書いたのは女だけだった。男は普通に中国語で書き日本語を書いたのは和歌か恋文を書く時に限っていた。古代の日本語は伊勢物語と源氏物語の言葉だった。初期体系は元々なかったけれど7世紀の頃漢字を仮名として(万葉仮名という)使い始めその漢字から平仮名と片仮名を作ったのだ。
古代の日本語の文法と語彙も全然違った。動詞の活用の形は六つもあり語尾も多かった。形容詞も大体動詞と同じだった。それに、昔は色々な言葉が違う意味があった。例えば、あした(明日):朝という意味だった、むつかしい(難しい):不気味、おかし(おかしい):面白い、美しい、めざまし(目覚まし):すごい、面白い。
現時の初め:
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
もっと知りたい人はこちらへ: 
http://www.sengokudaimyo.com/bungo/bungo.html 

リチャード・ヘイズ

2011年11月13日日曜日

1Q84が悪い書評をもらった?

村上春樹さんの近著「1Q84」は日本人にとって素敵な小説ですが、アメリカでその創設は悪い書評をもらいました。ニューヨークタイムズのジャーナリストジャネト・マーズリンさんのアーテクルを読んで、それを説召してみます。そのアーテクルにとって、「1Q84」が読者にかんがえられさせません(まぎらわしいですから)。そして、「1Q84」は三分にさけて、書評にとって、遷移はぞまんそうです。でも、その書評は一人のオピニオンだけです。村上さんの小説は人気があるままです。でも、村上さんの小説はみんなそぐいますか?私たちのクラスはたくさん日本の文学の裸出がありますから、若しかして私たちの方が村上さんの文体を分かります。
エミリー・カマラタ

雪国の話


雪国の一部分を読みました。もちろん英語で。この小説の雰囲気は寂しいと感じしました。小説の場面は冬であり、雪国と言われた町で起こりました。この冬と雪の話から寂しさを見えます。主人公の島村は一人で山に行って、これも寂しさを見えます。もう一つ気付いた所は川端さんがノーベルスピーチ中の“日本の美”のことです。小説の駒子が伝統的な日本の芸者で、彼女の人物描写は日本の女性の美を現れました。そして、大自然の山や雪や夜の空や花等も記載しました。川端さんは多分こういう日本を人に見て欲しかったと思います。
 
ヤンシ・ズー

川端康成さんの「写真」を読んでからの思い。

作家、川端康成さんの作品の中で、先週クラスで始めて読んだのは「写真」と言う短編でした。その短編は過去に離婚した詩人の話しです。あの詩人はある日、雑誌の人から連絡されます。雑誌記事のために自分の写真を探している時、詩人は過去の恋人との写真を見つけました。それから彼は彼女の事が思い出して、一つの事に気がつきました。二人で取った写真を送るために半分に切った時、詩人は写真を切った前と後が違う気持ちを持っていると思いました。二人がいっしょうにいる写真の彼女は“可愛くって、美しい”だと思いましたが、切った後、一つになった彼女を見て、反対の気持ちをもらいました。
僕はその短編を読んでとても悲しくなりました。矢張り誰かと付き合う時に取った写真は色んな記憶があって幸せに見えます。それは二人で取った写真にはあの日の話しが残っていますからです。写真を切て、人物だけになると、写真が持っている話が分からなくなってしまいます。写真の本の意味が鋏で消えることです。
僕は写真を切った事はないんですが今は会えない友達と取った写真を見て寂しくなったことは多いんです。格の写真は違う話を持っていて特別なんです。半分に切ると意味が変わってそれをなくなります。その理由で僕は写真を大事にすると努力します。
Ben Haeil Ryu.

2011年11月12日土曜日

織田信長の辞世の句について


先週にヘイズさんは三島由紀夫の辞世の句を紹介したので、私は一番好きな戦国大名の一つの織田信長の辞世の句を思い出しました。その詩的、美しいな辞世の句の中に一番有名な句は「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」です。私の理解は:「(私の)人生の五十年がこの世に比べると、ただの夢と幻みたい。一度この人生を楽しんでいたら、死ぬこともあるべきではないか」。この様な言葉を言える人は必ず世にも珍しい偉大な人物です。人の人生は短いだから、功名を立つ、やりたいことをやれば、死ぬことも恐れることではないです。織田信長は一生幾つな戦いを勝つ、負けた時も恐れなくて自分の命を終わりました。それこそ英雄です。

By ファンウェン・リー

日本美


授業で切腹と生け花と祭り/食べ物の関係を話しました。そして、授業で二週間までに美のテームは人気があったを気がつきました。日本の美は絶対に、他の文化に比べて、違うだと思います。でも、何が違うと思った.多分、切腹、生け花、能楽、茶道、などは実にきれいじゃない、このことをどういうふうにするのは本当に美しいです。日本の美は全部詳細だと思います.例えば、日本テレビで、料理をする時に食べ物をゆっくりで見せる。私にとって、見せるの時間は長すぎですけど、日本人にはもっときれいになるの考え方があるかもれませんね。きれいになるために、時間の詳細は大切です。それで、切腹は美しくないですが、切腹の複雑さは美しいです。でも、アメリカ美のはもっとシンプルだと思います.—ジャクリン・アギー

写真


 私たちの授業の写真の話の中で、私はよく誰かの心をトラップをするの信じる人々だと思っていました。この物語の中で何が起こっていたのされていないときに、私はさかが同じような何かに触れましたと思いました。授業で、私たちは一つのアイデアを選んだ。女ですと写真の女中で、どんな女は一番リアルですか。私たちはよく話したが、今まで明確な答えになったかどうか分かりません。
私のほうが写真家の取った私の本質よりリアルですか。この物語の日本語版はひじょうにあいまいだと思いました。 たんどくでそれに、このような質問は未解決のようです。また、たくさん質問を作成します。私たちは他人の写真を見る時、何がそれらについて疑問におもうのですか。かんじ方と移動し方のを思ったことがありますか。何?どうして?写真だけ見ますか。写真は写真だけだ、またそれは何ですか。

ローレン・ディサバト

2011年11月9日水曜日

変な海亀ですね。。。

春樹村上の「トランプ」はちょっと変な話ですね。サスペンスですけど、悪役は海亀です。海亀があまり怖くないと思います。とても遅いし、はさみや、歯や、毛がないし、人間をぜんぜん食べませんから。でも、主人公たちはとても怖いと思います。本当に「おしまい」と思います。海亀は化け物だったら主人公が怖いと思うわけですけど、話がただのし、つまらないし。それで、海亀は主人公をさえ食べたくないですね!村上さんは読み手が「主人公たちの憂慮がとてもアイロニックだ」と思わせたいですから。でも、「フリオー・イグレシアス」で、海亀は電話を壊して、蚊取線香を盗ります。どうして、私は分かりません

リオ・ローゼンスタイン

2011年11月8日火曜日

三島の「Patriotism]の中に結婚のことについて

「Patriotism]には、夫と妻の関係はとても強いことに気がついた。たくさん話しないだけど、妻がいつも夫の考えを知っている。それに、夫は妻に信じている。懲戒されたことがないし、毎日晩ご飯を作るし、家を掃除するし、切腹するの用意をするし、いい妻に似っている。でも、三島の結婚はたくさん違います。結婚しなかったが、両親が三島にそれをさせた。それで、三島が妻に規定を二つお願いした。一番大切な、面白い規定は妻は夫の作品に興味を持ったないと言う規定だった。三島の結婚は緊張したと言えば、どうして三島が親密な結婚について話を書いたが分からないよ。


Sydney Ramgolam

2011年11月7日月曜日

漢字と日本文学

漢字と日本文学

日本の作家は漢字の読み方でよく遊びます。例えば、川端康成の「写真」に“長年”じゃなくて“永年”が書いてあります。それから、大江健三郎の「個人的な体験」の主人公の名前は鳥ですけど、読み方はとりじゃなくて、バードです。もう一つの例は、「センセイ」に川上弘美作家が漢字を使わずに、センセイをカタカナで書きます。日本語にはひらがな、カタカナ、そして漢字がありますけど、英語には字体が一つしかありません。それで、日本の作家には漢字の読み方が詩的許容の一つのタイプになります。でも読み方と意味が違うと翻訳者がすごく困ります。二つのちょっと違う意味を一つの言葉に入れる事は基本的に自然な英語になれないと思います。

牧嶋ローレン

ともえ ごぜん(巴御前)

私は日本の女さむらいについてあまり聞いたことがなかったから、インタネットでちょっと捜して見ました。
ともえ ごぜんは日本の有名な女さむらいでした。
本気に暮らした人なのかないかふかくじつです。
平家物語には1156年に生まれたと書いています。平家物語は日本の軍記文学です。
平家物語でともえ ごぜんは顔が白くて髪は長くて美しいと書いています。
それに彼女は弓をよく引いて、馬によく乗って、
鬼と戦うほど勇ましい女だったと書いています。
だぶん彼女は小説の中で作りあげた人かもしれないが、本当に面白い話ですね。

アン ダソム

2011年11月1日火曜日

モゲラウォグラの分析

川上弘美のモゲラウォグは珍しいです。モゲラウォグラの筋はモゲラウォグラの一般生活です。このナレーターはモゲラウォグラです。モゲラウォグを読み始めた、この生物は犬と思いました。犬は人間に管制するから、川上弘美は人間をの汚点を見せたと思いました。でも、この短編小説は人間の憂鬱の力を見せましました。憂鬱な人間はモゲラウォグに助けました。世間もモゲラウォグラに助けまひた。
質問があるけど、いい答がないかもしれません。どして川上弘美はモゲラウォグラを選びましたか。憂鬱な人間はモゲラウォグラ見たいと思います。憂鬱な人間は自閉的です。この地中はメタファーと思います。

クリストファー・グルティアーノ