2011年11月13日日曜日

川端康成さんの「写真」を読んでからの思い。

作家、川端康成さんの作品の中で、先週クラスで始めて読んだのは「写真」と言う短編でした。その短編は過去に離婚した詩人の話しです。あの詩人はある日、雑誌の人から連絡されます。雑誌記事のために自分の写真を探している時、詩人は過去の恋人との写真を見つけました。それから彼は彼女の事が思い出して、一つの事に気がつきました。二人で取った写真を送るために半分に切った時、詩人は写真を切った前と後が違う気持ちを持っていると思いました。二人がいっしょうにいる写真の彼女は“可愛くって、美しい”だと思いましたが、切った後、一つになった彼女を見て、反対の気持ちをもらいました。
僕はその短編を読んでとても悲しくなりました。矢張り誰かと付き合う時に取った写真は色んな記憶があって幸せに見えます。それは二人で取った写真にはあの日の話しが残っていますからです。写真を切て、人物だけになると、写真が持っている話が分からなくなってしまいます。写真の本の意味が鋏で消えることです。
僕は写真を切った事はないんですが今は会えない友達と取った写真を見て寂しくなったことは多いんです。格の写真は違う話を持っていて特別なんです。半分に切ると意味が変わってそれをなくなります。その理由で僕は写真を大事にすると努力します。
Ben Haeil Ryu.

3 件のコメント:

  1. 「写真」を書いたのは三島じゃなくて、川端ですけど....

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  2. すみません!今その間違いに気がつきましてなおしました!

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  3. 私もそう思います。私もそういう写真を半分に切ったことがないんですがそれが出来ないかもしれません。過去の友達が嫌いな人になっても半分に切られないと思います。私にとってそれは高校生っぽいし、人と人の関係を大切にするし、他人と問題があれば私はぜひ直してみるし、そんな場合が今までに起こらなかったんです。

    でも、それを言ってもこの短編が本当に好きでした~

    ドンダレー・ガンブス

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