2011年10月16日日曜日

第一人称、それとも第三人称

阿部公房の「砂の女」の中で、ナレーターがよく変わります。同じの段落の中でも、場合のによって時には第一人称で、時には第三人称です。例えば、阿部さんは第一人称で昆虫採集家の心理描写を書って、そして第三人称で採集家の行為を書きます。「予感に狂いはなかった。... だかそんなことで驚くかれてはない。昆虫採集家にはつねに用意がある。」
こんな人称の変化は日本の文学でよくありふれたパターンかもしれません。初めて読んだ時に、この変化を気をつけませんでした。それは多分日本語で主語を省略するの時は多いので、私には変化が明らかないんです。でも、英語でよく考えれば、すぐ分かりますね。だから翻訳する時にはその変化をはっきり翻訳した方がいいかどうかわかりません。物語の場合によって、もし翻訳したら、読者に困惑させるかな。

レイチェル.ペン

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