2011年10月30日日曜日

黒い一ページ

大江健三郎の”個人的な体験”は一ページしか読まなかったが、あの一ページの中、この物語のテーマが見えそうです。鳥(バード)という主人公は生きているけど、まるで死んだ人みたいなんです。診療室の内部をのぞこむことでも、医者さんたちと話をかけることでも、いつでも存在感がない男として生きています。だから、彼の生きている感じがない人生はもう終わったらしいのだと思います。一ペイジだけの文なのに、漢字が多いだし、文句が長いだし、たくさんあらすじより主人公の感じをよく描きます。読む時には、鳥がいる世界の時間の方が、現実の時間よりもっと遅く過ごすかなと思っています。この作品のスタイルは陰みたいに読者の感情を抑えるかもしれません。


レイチェル ぺん

大刀一郎は砂漠で恋に落ちた!

こんにちは皆さん、僕の名前は大刀一郎と申します。私は刑務所に戻ってこられてとても幸せです昨日刑務所から脱出したので監視員は罰として、僕を炭鉱に送った。炭鉱は、砂漠に位置しており、砂漠のヘビが存在するので、私は砂漠好きではない鉱山で働いている間、私は突然非常に悪い胃の痛みを感じたので、砂の丘を駆け上りトイレに行った。しかし、僕がしゃがみこんだ時本当に大きな蛇が僕のお尻を見つめていることに気がついた。僕は走り始めた。しかしきづく前に穴に落ちた。目を覚ますと砂を掘っている男と女がいた。僕はとてものどが渇いていたので、水を探した。バケツの中で見つけました水を飲んだ後男は突然、非常に怒って、僕に向かってきた。僕は屋根の上にジャンプするほど怖くなった。しかし飛び上がった後屋根は崩れてしまた。数秒後に数秒後にすべてが落下した。男は巨大な岩粉砕した。僕はオープニングを見て僕についてくるようにいった。我々は逃げた後彼女はとても幸せになったので僕にキスをした。その瞬間に世界が停止したように感じた、一が一年のように感じた。これは恋ですか?はい!は恋に落ちたと思います!(続く。。。)

ジミーチェン

日本の現代化の今。

今度僕は最近出た村上春樹さんのインタビューについて話そうと思います。村上さんがアメリカのニューヨークタイムズとしたこのインタビューは彼の色々な意見や日本の生活などが書いていて面白かったんです。ニューヨークタイムズの『サム アンザそん』は村上さんを会うために日本に来てびっくりしました。彼が驚いた理由は村上さが自分の本に書き表した日本が、サムが経験した日本とぜんぜん違うからでした。村上さんはいつもアメリカとヨーロッパの有名な作家や映画、音楽について話しますから、サムは日本はとても現代的で日本人の皆は村上さんより今めかしいだと思いましたが、実の日本人はあまり英語が話せない、村上さんが興味ある色々な西洋文化も難しく思っていました。僕はインタビューを読んだ後、今年の夏に読んだほかの新聞記事が思い出しました。じんわりに増えている日本の留学生の数についての記事でした。日本も韓国と中国より外国の事をもっと尊敬しはじめました。でも、僕は日本が『ほかのアジアの国より』日本の文化を今よりよく存置してほしいんです。



べん リュウ

大江 健三郎について

四国樹林の中では大江健三郎の育っていた家です。四国でよく、女の人が物語を言われました。あの物語が自然のこと似ついた。健三郎の影響は四国だと思います。自然な話も強い影響だと思います。健三郎の個人的な体験という話は自然話すことが多いです。例えば、オーストラリアの動物を話しました。そして、アフリカの地図のことをたくさん書きました。後で、健三郎絶対にアドベンチャーところがあります。面接で彼が四国の樹林にアドベンチャーがよくありました。だから、アドベンチャーと自然なことは健三郎の好きなテームだと思います。彼の文体はすごく変だと思うけど、健三郎の育った家、と彼の幼少期は他の人に比べて、も変だから、もしかして健三郎にとって、この文体は普通です。ージャクリン・アギー

現代とは言えない日本語

我々がよく知っている日本語はずっと今の形ではなっかたのである。特に書き言葉がその違いを表す。前に夏目漱石のこころ(こゝろと書けばいいだろう)を日本語で読んでみようとしていた。言文一致運動が始まった後で書いたんだけど文体が全然違って「これは現代の日本語じゃない」とすぐに分かる。感じが略体じゃないし感じがもっと多いしもう使わない漢字と平仮名もある。國、ゐ、ゑ、何しやう、といふ、此処、あつた、こゝろ。この言葉と字が知っているはずだが読めるのかな?第二次大戦の後、日本の政府が書き言葉を簡単にした。そして大体、今の文体になったのだ。クラスの皆さんはどうだ?読める?それにどっちの方がいいのだろう?

リチャード・ヘイズ

2011年10月29日土曜日

「カリフォルニアロール」は何ですか。


学期の初めて時、たくさん村上さんの話をしました。村上さんの作品はアメリカか日本かどうか分かりませんでした。 村上さんは「カリフォルニアロール」と賛成しました。でも授業の読む作品の中で「カリフォルニアロール」がたくさんあると思います。例えば、川上さんの「スナック愛」と「鶏の地獄」。 その物語はアメリカのさかを書くと想像できます。そして、日本の物語の気持ちはアメリカの物語も時々同じだと思います。吉本の「キッチン」も別の例だと思います。
 村上さんの中で、文調をたくさん話しました。 でも、日本の物語を読む時、私は文調によく気をつけらない。アメリカの物語もよく気をつけらない。時々、いくつかの文調のほうが好きだとおもいます。よく読み物に影響しません。 読む時、物語を探します。
日本の物語の中で、どちらはカリフォルニアロール」ですか。

ローレン・ディサバト

2011年10月27日木曜日

日本のかいき

大江健三郎のノーベルしょうのスピーチはよく第二次世界大戦後(I'm not sure if I can use 後 like this.  I mean post WWII)を話しました。それは外の本を思い浮かびました。そして、その本を述べることにします。児島信夫の穂や家族は第二次世界大戦の後で日本の場面があります。この小説において、三輪俊介(四十五)は家族の世話をしたいけど、できません。俊介のワイフを幸せにならせるために、洋風的な家を建てさせます。でも、俊介のワイフと子供たちが彼を敬しないままです。俊介は洋風的と日本的生活があってみますから、三輪のかぞくが費えます。大江家座ぶろうさんはその破局を述べた時にそのテームを考えて、日本文化はいつ取り返すことを問いかけます。第二次世界大戦は六十年前に起こりました。日本はどうやって取り返すの方がいいですか?

エミリー・カマラタ

2011年10月25日火曜日

戦争の後悔

大江健座風呂さんのノベルのスピーチは日本人が戦争の後悔があると言っていました。私がドイツに行った時を思い出させました。2006二で、ドイツはFIFA World Cupをホーストしていました、ドイツ人はとてもうれしかったです。私のホースとファミリーのお母さんは「このごろは、ドイツ人がドイツ人であるのを誇れるの初の時ですよ。」と言っていました。その前に、第二次世界大戦のために、ドイツ人はドイツの旗を見せるのや、チームに声援を送るのが恥の上塗りだと思いました。でも、その時、うれしかったですよ。FIFA World Cupがドイツにあるのは、最終的に世界が差し許しているのを表わしていました。

でも、日本人は、残虐をする後で、残虐を浴びたので、大変に残虐を分かるかもしれません。大江さんは「日本がぜんぜんもっと戦争を仕掛けてはいけませんよ」と言っていました。大江さんとドイツ人のお母さんと同じかもしれません。

リオ・ローゼンスタイン

健三郎大江のノーベル賞スピーチ

私は健三郎大江様のスピーチを読んでから、タイトルはちょっと不全だと思いました。大江様はタイトルの説明しないわけでもないけど、スピーチが大体全世界のことについてです。例えば、大江様はほかの日本人の作家と仲間意識をあまり感じないみたいです。つまり、必ずしも一部の作家が日本人であれば大江様はその作家が好きだとわけではありません。それに対して、文学のよしあしを見て、多くの外国人の作家を読みます。実に、大江様はスピーチで前にノーベル賞を受けた日本人よりウィリアム・イェイツ様のほうが仲間意識があると言います。それに、彼の一番大切な目的は文学で人類を直す(英語でcure)ことです。
だから、「日本の私」とは間違って、「世界の私」のほうがいいかもしれません。

ジェフリー・サリバン

PS:私は日本語でそのようなことについて話すと馬鹿な気がするから、英語のまとめがあります:
He addresses both his Japanese and global influences, but ultimately it seems he wishes to transcend nationalism and belong to a global community of 'humanists.'

鳥とバード

大江健三郎は個人的な体験で主人公の名前を漢字で鳥を書き、そして小さい字でバードがある読み仮名書いています。これは非常に面白いと思います。このような漢字を見たこともあります。例えば、cigarettesは漢字が煙草で書きますけど、読み仮名はタバコということです。しかし、それと比べて大江健三郎の鳥(バード)は違いと思います。鳥は普通にとりで読みますから。個人的な体験の主人公は妻子のために生計を立てり、知能障害の子がいるし、アフリカに行くなんて絶対にだめになります。籠の鳥みたいです。でも、バードは西洋的なので、日本人にとってもっと抽象的で、自由の感じがあると思います。それで主人公は自由はずなのに。この衝突は面白いです。

ヤンシ・ズー

2011年10月17日月曜日

砂の女の最初の部分について

安部公房学的と技術的なことばがよく使って感情を入れないで記述的な文体がある。ただ現在があることについて書く。文体のせいで読者にとってゆっくり主人公の形と主人公についてことが習えて主人公と一緒に物語のイベントを経験する。でも同じときに安部さんは第三人称で書くから安部とかナレーターは筋からべつにしている。ナレーターの話し方のせいでシュールレアリズム的な雰囲気がいつも感じれると思う。彼が出られなくなったら、この変な雰囲気はちょっとこわくなって読者にとって彼の気持ちがわかりやすいと思う。僕にとって彼の期待と砂の人の期待の違いは特に面白くて,どうやって終わるのかと思う。 
ウォー・ジョン

2011年10月16日日曜日

小説のカバー

私たちのクラスが最近日本の訳した小説のカバーを話しました。そのカバーがとても面白くて、たくさん日本のステロタイプと不正確があります。そのクラスの後で、小説のカバーを考えて、いくつか日本語に訳した小説のカバーを見つけましたえばハリー・ポッタのカバーhttp://img.yaplog.jp/img/04/pc/h/a/r/haryukax102/0/7.jpgそれがバンゴッオの墨絵みたいと思います。毎国が面白いカバーがありますhttp://www.hissheep.org/potter/harry_potter_editions_around_the_world.html。本当に面白いことは、日本でトワイライトの本がはっくぶ同じですhttp://www.amazon.com/s?ie=UTF8&rh=n%3A3151591%2Cp_lbr_two_browse-bin%3ATwilight&page=1。テクストだけがちょっと落ちが居ます。もちろん、訳した本のカバーがカタカナのタイトルがあります。時々タイトルは漢字を使いますけど、それが古めかしそうですhttp://ecx.images-amazon.com/images/I/51NND4S5EGL._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU01_.jpg Dostoevskyの罪と罰が訳しなかったけど、罪と罰のまんががありますhttp://cdn2.mixrmedia.com/wp-uploads/rekuru/blog/2011/05/crime_and_punishment_manga1.jpg。日本語に訳した本がもと日本的になると思います。面白いことです。

Emily Camarata

川上弘美の事務室の感想

この短編小説はとても難しかった。最初に事務室を読んだ時、全然分かりませんでした。「細部は抜けりましたか。」と思いました。お兄さんの履歴をあまり説明しなかったから、これは無茶苦茶でした。じゃあ、この短編小説は比喩の日本の経済と思いました。お兄さんは学生なのに、世界が事務室と思っていました。本当にかなしい、ね。しかし、お兄さんが老いることになる時、子供みたいです。学生服を着てやめたが、ジーンズのつなぎと縞シャーツ着ます。お兄さんも事務室がみきりしてえがかきました。
とにかく、おにいさんは裏腹でした。大人になった時、実は子供になりました。川上さんの教訓は経済のストレスは子供に影響しられました。

大江 健三郎のテーマ


私は大江 健三郎の「A Personal Matter」と「The Day He Himself Shall Wipe My Tears Away」と「Teach Us to Outgrow Our Madness」を読みました。あの話で、ほとんど同じテーマが多いです。例えば、知的障害のお坊ちゃんがいるから、責任がとても大切です。「A Personal Matter]で、お父さんはお母さんにうそをついて、逃げを打ちます。お坊ちゃんを忘れてがんばります。「The Day He Himself Shall Wipe My Tears Away]で、お父さんは走り去らないでお坊ちゃんを愛しているけど、ほかの人々を全部忘れてしまいます。慮方が均衡をいりますね。
そして、「Teach Us to Outgrow Our Madness]と「The Day He Himself Shall Wipe My Tears Away]は、主人公が発狂します。両親が幻怪だし、思い出と生活が困るし、急難じゃないですね。慮方の話で、主人公は、お父さんの話を知りたいけど、怖いお母さんがいて、お母さんが教えたくありません。慮方の主人公のお父さんがストアハウスに前々住みました。「Teach Us to Outgrow Our Madness」の主人公は自分が発狂しているからお父さんも発狂したと思いたいだけど、「The Day He Himself Shall Wipe My Tears Away」のは、おとうさんが発狂しなかったと思いたいから、多い話を自分に教えて、発狂します。また、均衡をいります。
私はこの話が大好きです。
リオ・ローゼンスタイン