2011年10月14日金曜日

日本語の逆説

日本語は逆説の言語だと思います。ほかの言語と比べたら、短い文で複雑なことを説明できることは素晴らしいだと思っています。ですけど、その簡単な文の中でニュアンスがあるに違いないでしょう。

たとえば、多和田洋子の「かける」という短編。動詞として、かけるは色々な使い方があって、ちゃんと英語に‘訳すできません。英語で、かけるのような動詞がありません。かけるの代わりに putとか setが使えるけれど、同じ意味を伝えてるのはできない。それだけではなくて、この短編の快活さがなくなります。

または、村上春樹の作品でそういうこともあります。短くて、意味がシンプルみたいな作品は人をだまされています。短い文で人間の気持ちや悩みなどを説明してることは日本語特有のものです。


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トリシャ・ブリオネス

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